• コラム

愛を決断するための心理学

 

今からちょうど30年前の春、24歳の私は故郷の山口県に帰ってきた。福祉の仕事に携わり、子どもの教育について研究した大学時代とは違い、大人になってからの生活面や就業面などの課題に向き合うことを学んだあとだった。

 

京都女子大学の文学部教育学科では、初等教育学を修了した。もともと心理学に興味はあって、1・2年次教養の時に、皆に人気のあった心理学を履修したかったのだが、私は他の希望科目とぶつかってできず、後回しにしたら、なんと、卒業までそのチャンスは来なかった。このことがきっかけで教育心理学系のゼミには入れず、多少の心残りを胸に秘め、専門は教育学に進んだ。しかし、そこで一生の宝物となる研究と出会う。

 

『教科書を子どもが創る小学校』という一冊の書籍に出会ったのは、その時だった。

 

当時、松村ゼミで友がさまざまな教育論や教育学者について研究し始める中、私も自分の理想像を求めてあちこち探し求めた。卒業論文のテーマを固めなければならない頃だった。


卒論を書くという時間のかかるめったにないこの機会を通して、何かを成し遂げたかった。ただ書かなければならないから書く、というのは不本意だった。つまり、卒論を書く目的が欲しかったのだ。何のために卒論を書くのか。卒論目的論である。

 

京都烏丸のジュンク堂書店でこの本を手に取った時、運命的な出会いを感じた。まさに、これだ!という感じだった。しかし、教科書を子どもが創るなんて……途方もない発想のように思えたが、とても魅力的だった。


「学ぶ」ということの意味を深く問い始めたのは、いつからだっただろうか。主体的に、自分の命の根底からやりたいこと、もっと深く知りたいこと、時間をどれだけかけても惜しくないようなことって何だろう、それができたら、どんなにいいだろう。それを本当の「学び」っていうんじゃないのか。そうだとしたら、私はこれまで、その「学び」をしてきたんだろうか。学校は「学び」の環境を用意できているのか。教師は、学校でどんな役割を担うべきなのか。


そして私は、どんなふうに仕事がしたいのか。


30年経った今も、模索が続いている。


故郷に帰ってきた翌年の25歳の時、臨床心理学への道を最初に歩み始めた頃に出会い、今も私の心に深く根ざしている、心理学者秋山さと子の本の一節を思い出す。



『「愛」を決断するための心理学』 より


「個」を確立すること、「自分」を確立することの現れは、自分が本当にやりたいことがわかって、そのやりたいことをやろうとすることです。自分が何をやりたいかは、自分というものがわからなければ、よくわからないからです。やりたいことは具体的でなくても構いません。自分の生き方といったことでもいいのです。自分の生き方がわかっていれば、さらに自分を柔軟に生かすことができます。


さきほど、私は自分のやりたいことよりも、自分に今何ができるかを現実の状況の中で見て、その中でできることをやってきたと言いました。それは、私自身が自分でどう生きたいのか、生き方というものをつかんでいたからできたことなのです。


たとえやりたくても、現実にそれが今すぐにできないならば、自分を生かせないからです。そこで何もやらずにやりたいことにしがみついているよりも、現実にできることの中で、少しでもやりたいことに近い方向のことに手をつけることによって、今の自分を生かすこともできるし、さらにはやりたいことがやれるチャンスも開けてくるのです。


ですから、まず、自分が本当にやりたいことが何かをつかむ、あるいは自分がどう生きたいのかをつかむということです。そして、自分がやりたいことをするために、あるいは自分が生きたいように生きるために、今の状況の中でどうすればいいのかを、周囲の現実をきちんと見回してみるのです。周囲の状況をきちんとつかむことは、自分を現実の中で生かしていくためなのです。


もちろん、最初から自分のやりたいことが現実にできるとは限りません。しかし、現実の状況の中の選択肢から、とりあえず自分がもっとも生かせることをしていけばいいのです。「自分」をきちんと持っていて、その「自分」を現実の生活の中で生かしてこそ、はじめて自分を生かすことができるのです。


秋山さと子 著 1993 ㏍ベストセラーズ p .210〜212